史跡巡り!Part.2

Part.1の続きです!!!

いよいよ上野公園に入りました!!
まずは入り口の方から。

慶応4年5月15日。
今で言う7月頃。梅雨の雨降る日だったそうです。
火が燃え広がらないよう、官軍は雨の日を選んだんだとか。
(上野を全面放火したのは官軍だけど)
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上野戦争の後、焼け野原となっていた山を整備し、日本で初めての公園にしたのは明治6年のこと。
オランダの医師・ボードウィンでした。

当時は焼け残った樹木を建材用に伐採する案や、不忍池を埋め立てて水田にしようとか、病院を建てようなどと検討していたそう。
しかし上野の山を緑豊かな公園として残すことを明治政府に進言したのだそう。
今これほど上野が栄えているのも、ボードウィンのおかげなのですね。

さて、話がそれましたが上野戦争に戻しましょう!


今は何もありませんが、入口の前に三枚橋という3本の橋があって、この橋を挟んで彰義隊と新政府軍は射撃戦をしたといいます。
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(東台大戦争図。当時の出来事を絵に描き起こすことが許可されていなかったので、題名は全く関係の無いものを付けていることが多い)


そして黒門があったであろう場所を通り抜け、階段を登ります。
そこは山王台と呼ばれていた、彰義隊の砲台が置かれていた場所。
今では西郷隆盛象があることで有名ですね!!
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しかし階段を登っているとお囃子の音……お神輿……?なにやら騒がしいぞ??
登ってみると、なんと西郷どんが着物を着ている…!?!?

後に調べてみたら、「西郷南洲翁銅像清洗式」という行事が行われていたようです。


人混みを避けてその後ろへ。
彰義隊のお墓は、華やかで目立つ西郷さんの立つ後ろに、ひっそりとあります。
私達が行った時には、彰義隊について書かれた石碑の周りを、子どもたちが走り回って遊んでいました。
前のブログで「例の字が読めない……」って私が騒いでいたやつです)


このお墓は、上野に放置されていた遺体を集めて火葬した場所にあります。
お墓の周りにはフェンスがしてあり、その前にお花を手向ける場所がありました。


上野戦争後、彰義隊の扱いは旧幕府軍の中でも特に悪かったといいます。
その為生き残っていても、戦死したことにして故郷にも帰れず戸籍なしで一生を過ごしたり。
上級の人は全国指名手配されて徹底的に生死を調査されたり。
上野戦争で戦死した新撰組隊士・原田左之助も、家族に迷惑がかかるから戦死したことにしたのでは…という説があります。

彰義隊のお墓は一見とても立派で大きく見えますが、これは明治14年に、政府からやっとお許しが出て立てられたもの。
とはいえ賊軍である彰義隊の名前はかけず、「戦士之墓」となっています。

よく見ないと気づかないのですが、その大きな墓石の前に置いてある小さな墓石が、明治2年に密かに作られ地中に埋められていたもの。
そして、墓石の前に何かビニールで巻かれたものが置いてありました。

何が置いてあるんだろう…?
失礼して、双眼鏡の代わりにカメラのズームで確認した所、彰義隊一番隊旗の写真のようでした。
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ちなみに官軍の旗は『菊紋章』。
その半面、今や国旗となっている日の丸は、彰義隊や旧幕府軍の掲げる『賊軍旗』だったそう。

彰義隊の旗は現在、靖国神社に収められているそうです。
(ただ戊辰戦争で戦った旧幕府軍は祀っていないとか、お国のために戦ったことに違いはないから祀るように途中から変わっただとか…)

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そのまま進んで旧寛永寺の旧本坊表門へ。
門には皇室の菊の御紋が印されています。
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本坊には輪王寺宮法親王が居住されていました。
そのため大変壮大な建造だったそうですが、上野戦争で焼け、この表門だけが戦火から逃れたそうです。
それからは帝国博物館(東京国立博物館)の正門で使われていたそうですが、関東大震災後に今の輪王殿前に移築されたそうです。

ここにも銃痕(大きさ的に大砲?)が所々に残っています。
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関東大震災や東京大空襲でも焼けなかったのだというから、何か考え深いですね。



次に向かったのが寛永寺

当時上野の山全体が寛永寺の境内だったといいますが、今は隅の方にひっそりとあります。
旧本堂は今の国立博物館前の噴水池あたりにありましたが、上野戦争で焼失しました。
ならここにあるのは何? というと、寛永15年に建てられた川越市・喜多院の本地堂が移築され、本堂とされたものです。

門にある金色の葵の紋が、印象的でした。
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寛永寺にある「上野戦争碑記」は漢文でしたが、「彰義」と違ってはっきり字が読めました。
解読は出来ませんでしたが。

次の公演でやる「関宿藩士」の記述を発見したときの、私の興奮といったら……!
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史跡巡りは以上です!

本当は彰義隊の墓の近くには彰義隊の資料館もあって、それも見たかったのですが…。
彰義隊士・小川興郷の子孫の方が個人的に運営していたそうなので、2003年の5月に閉館となってしまったそうです…。

彰義隊はたった1日で壊滅させられた上、その後も新政府の目が厳しかったから、残っている資料てとても貴重だと思うんです。
本とかもあまりないですし。

でも個人運営というと、もう一般の人が見れない状態なんでしょうかね…残念…


次は是非、元彰義隊・関宿藩士の方が眠るお墓に挨拶に行きたいです。
(実は静岡なんですよ…!?!?)


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by ichi-domi | 2017-05-05 22:17 | 追憶公演-志-『月を待つ人』 | Comments(0)

静岡中部の社会人演劇ユニット「一笑ドミノ」のブログ! 観る側も創る側も楽しい作品を目指しています! 派生チーム「殺陣集団 壱ノ陣」や高校演劇宣伝もします。(2011年結成)


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